今年もお城見学会を実施しました。
レポートは武内再起さまにお願いしました。
令和6年5月30日、今年のお城見学会は、山口県の『岩国城』へ18名で行きました。
岩国城は関ケ原の戦いの後、岩国へ転封された吉川広家が慶長13年(1603年)に築いたお城です。天守は四重六層で、三階よりも四階、五階よりも六階が大きく張り出した特異な姿で、我が高松城と同じ南蛮造なのです。復元する高松城を強くイメージするにはぜひとも実際に見ておきたいお城でした。
11時に到着して少し早めの昼食。岩国の郷土料理「岩国寿司」や具沢山汁「大平」、地酒の「五橋」などをとてもおいしくいただきました。地元の観光ボランティアガイドの方が2名付いてくださり、2班で説明を聞きながらスタート。まずは日本三大奇矯の錦帯橋を渡ります。錦帯橋は御土居と城下町を結ぶために1673年に建造された5連アーチの木の橋で、現橋が四代目。ガイドさんから橋の構造や歴史を学びました。途中で一軒の武家屋敷を見学しましたが、このお屋敷は上級武士の家で2階建てです。
ここでクエスチョン!問題です。
Q.「2階建なのに2階に窓が無い、その理由は?」
A.答えは、「お殿様が通る時に2階の窓から見下ろすなどもってのほかじゃ!」なるほどですね。
ロープウェイで上がると山は空気がひんやりとしています。地上の気温26度から山は19度くらい。寒暖差と樹齢150年の檜林に神秘めいたものを感じつつ坂を歩いて見えてきたのが元々の天守台。なんと岩国城は築城から7年で一国一城令により取り壊されています。旧天守台は三分の一だけ残っていたものを平成8年から復元したのですね。
いよいよ本旅メインの岩国城天守に到着。昭和37年に再建する際、錦帯橋からよく見えるように南へ50mずらした場所に古図を参考にして再建したもの。造りはRC鉄筋コンクリート。南蛮造の四層の見た目が高松城のお顔によく似ていて兄弟のようです。
ここでまたまたクエスチョン!問題です。
Q.「岩国城はなぜ南蛮造にしたのでしょうか?」
A.答えは、「徳川家康が大きな城を建てると怒るから屋根が少なく小さく見える建て方にしたため」へぇーって感じですね。
お城の後は吉川資料館へ。学芸員さんから貴重な説明を聞いて藩主吉川家の歴史を学びました。今回は地元ガイドさんが3時間つきっきりのガイド。そのおかげでとても充実した岩国旅行になりました。
令和7年は彦根城か?宇和島城か? 僕はやっぱり、現存12天守がいいなあ。(^^)/(了)
文:武内再起