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城めぐり研修旅行「今治城」

市民の会では、定期的に城巡り研修旅行を行っています。
毎回、大勢の方の参加をいただいていますが、今回は6月27日土曜日に実施した今治城見学記を、上杉哲人氏に寄稿していただきました。

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今治城見学記       (上杉哲人)

友人に誘われて最近本会に入会、早速、今治城見学へ。途中、川之江城に立ち寄る。昭和61年に市制30周年記念で建築された鉄筋コンクリート造りの3層4階建。少し息を弾ませ登った小高いおかにある天守閣展望台からの眺望は最高。前に瀬戸内海、背後は四国山脈が迫り、西方にはこの春登った赤石山系の山々が一望できる。

昼食後、かの藤堂高虎が築城した今治城へ。現存する内堀と石垣が昭和28年に愛媛県の史跡に指定され、近年になって、天守や城門等が再建されている。とりわけ平成16年、築城400年祭記念事業として藤堂高虎像が設置され併せて、同19年9月に再建された「鉄御門」(くろがねごもん)は扉や柱が頑丈な鉄板で覆われ迫力満点。ちなみにこの門は「枡形虎口」(虎口とは出入口のこと)の内門であるが、外門となる「高麗門」は復元されていない。この門の上にある長大な「多門櫓」は内部にふんだんに木材が使われ、今でも木の香が多分に残っている感じがした。

今治も川之江もお城の存在によって街の品格が一層高まっている。一昨年信州方面に行った折、夕日に映える松本城の構えに見とれたが、我らが街高松の天守は松本城のそれをも上回る高さを誇ったという。復元された玉藻の城を是非眺めてみたいと思う。

 

今治城研修旅行_R

大盛況! 高松城映画上映会【築城せよ】

去る8月22日。
<高松城映画上映会【築城せよ】&トークショー(野外映画)>が開催されました。

野外ならではの心地よい風を感じながらの映画鑑賞は
毎回好評をいただいている人気イベント。

お天気に恵まれたこの日、250名もの大勢の方々に参加をいただき、
夜の玉藻城も大賑わい。まさに大盛況でした!

 

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このイベントでは、【高松城の復元を進める市民の会】の古川理事長から、

「高松城の復元については99パーセントの環境はできています。
あと1パーセントは市民の盛り上がりの声です。
ぜひ今後の復元に向けて、みなさんの入会をお待ちしています!」

との熱いスピーチも!

会場の一角に設けたブースにも、多くの方にお立ち寄りいただきました。

 

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【高松城の復元を進める市民の会】では、今後もみなさまのご入会を
お待ちしています!

 

 

『築城せよ!』野外映画上映会のおしらせ

玉藻公園にて、今年も野外映画上映会が行われます!

上映されるのは、歌舞伎役者・片岡愛之助主演の『築城せよ!』。

城跡で上映されるにはピッタリの作品。ぜひ皆様で観に来てください!

 

築城せよ!表

 

 

<ストーリー>
2009年、過疎化がすすむ町・猿投(さなげ)に突如として現れた3人の戦国武将。彼らは400年前、 自分の城を完成できずに無念の死を遂げた侍の霊だった。
殿様の「築城せよ!」という号令の下、町おこしを願う住民達を巻き込んで、壮大かつ無謀なプロジェクトが立ち上がる。素材は段ボール!残された時間はあと3日。意味不明の号令と傍若無人な振る舞いに、住民たちの間で不協和音が流れる!!
やがて、ひたむきに築城に打ち込む殿様の姿に、大学生・ナツキを中心にして、いつしか住民たちの心も一つにまとまっていく。しかし、もともと築城現場に工場を建てようとしていた町長一派は、段ボール城を撤去しようと、秘策を練っていた。そして完成まであと一歩と迫った夜、宴会で盛り上がる段ボール城を、町長が組織した一団が静かに包囲する。果たして、城は無事完成するのか。それとも、ひとたまりもなく壊れてしまうのか!!築城に秘められた真意とは!?

(映画『築城せよ!』公式サイトより)

築城せよ!裏

 

<高松城映画上映会&トークショー(野外映画)>

【日時】 平成27年8月22日(土) 午後7時~午後9時40分(開場午後6時30分)

 

【場所】 本丸跡(天守台石垣西側)※雨天の場合は屋内での上映になる場合があります。

 

【トークショー】 「ひたむきな想いが時代を超える」午後7時~
出演:海老瀬はな(女優)、古波津陽(監督)、益田祐美子(プロデューサー)、

帰来雅基(映画ナビゲーター)、中井今日子(フリーアナウンサー)

 

【映画上映】 「築城せよ!」主演:片岡愛之助 午後7時30分~

 

【料金】 1000円(玉藻公園・市生協・デュークショップ高松で販売)
※上映終了後に玉藻公園オリジナルグッズが当たる抽選会があります。

玉藻城で夏のイベント開催中!

今年、開園60周年を迎える玉藻公園では、さまざまなイベントを開催中です!
【祝! 開園60周年 入園無料】
現在開催中~ 9月13日(日) の土曜・日曜・祝日・8/13・14(計18日間)

無料開放

 

 

 

【夕涼み、無料】

披雲閣庭園のライトアップ&ミストシャワーで、玉藻公園を涼しく夜散歩してみませんか?

現在開催中~8月31日(月)午後7時~午後9時(8月13日(木)は除く)

玉藻城 夕涼み

 

 

 

 

 

 

 

天守台の復元

高松城天守台は、築城から約420年の経過により、劣化が進行し、崩壊も危惧されていました。

 

平成17年から始まった石垣の解体・積み直し工事が平成24年3月に終了し、築城時の美しいシルエットと強度を取り戻しました。

 

また、調査などから掘立柱と、礎石を併用した珍しい構造により四国最大の天守閣を支えていたことも判明しました。

 

解体調査によりさまざまな資料も増え、天守閣復元の大きな弾みになることでしょう。

 

天守台の復元

 

 

 

 

天守閣復元への現状

復元への段階として、調査→計画→許可→予算→着工→完成という大まかな流れがあります。

 

今はまだ1段階目の「調査」の途中で、具体的に事業全般が見えてくる「許可」段階に達するためには、まだ多くの障壁が存在しています。

 

最大のハードルは資料不足の状況で、国(文化庁)の許可を取り付けるというもの。国の許可がすぐ取れるだけの資料となりますと、全方向が見える外観写真や、根拠のある絵画等の発見。何より構造を示す図面の存在。さらに仕様部材の特定できる資料などの発見が望まれます。

 

 

天守閣の古写真(イギリス・ケンブリッジ大)

 

 

 

 

 

桜御門の復元

昭和20年の高松大空襲で消失した「桜御門」は、平成22年に高松市による基礎部分の発掘調査が終了し、その構造が明らかとなりました。

 

 

桜御門の復元

 

桜御門の復元は、平成8年の高松市の「保存整備計画」に位置づけられながらも、諸般の事情が重なり、三度にわたり契約が不調。やっと令和元年12月の市議会で復元工事契約が成立しました。
披雲閣の正面にあたる桜御門の完成により、大手の旭門から入り櫓門をくぐり御殿へ進むという往時の景観が再現することになります。
『小神野筆帖』という古文書には、藩主在国時に、年初めや五節句、使者を迎えるなど特別な日には、白麻地に桜の紋が入った幔幕を張っていたなどという記述もあり、これを再現することは、史蹟高松城跡の史実に基づく「保存・活用」の第一歩となるに違いありません。

 

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高松城の歴史

高松城略年表天正15年(1587)に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正は、翌16年(1588)から高松城を築城しました。このとき、「野原」の地名を『高松』と改めました。
北は瀬戸内海に面し、内堀、中掘、外堀の3重の堀で残り3方を取り囲んだ平城(水城)で、その設計は黒田如水、藤堂高虎、細川忠興などの諸説があります。また玉藻城とも呼ばれ、これは讃岐の国の枕詞「玉藻よし」に由来すると言われています。

 

生駒氏の治世は寛永17年(1640)の生駒騒動による転封まで4代54年間に及びました。生駒氏転封後の寛永19年(1642)には、徳川家康の孫で、徳川光圀の兄でもある松平頼重に東讃12万石が与えられました。

歴代藩主

頼重は城内の改修を行い寛文10年(1670)に天守の改築させ、翌年から東ノ丸、北ノ丸を新造し、2代藩主頼常は月見櫓や艮櫓などを建て、大手を南側から南東側に移動し、三ノ丸に御殿を建てました。その後、城は大きく改変されることなく、11代にわたって松平氏の居城としてその姿を見せていましたが、慶応4年(1868)、官軍に開城することになりました。

明治時代には城の中心部は陸軍の所有となり、天守を始めとする多くの建物が取り壊され、外堀は埋め立てられ市街化が進みました。明治23年(1890)に再び松平家に払い下げとなり、天守台に玉藻廟、三ノ丸に現在の披雲閣が建築されました。昭和20年(1945)には戦災で桜御門が焼失しましたが、昭和22年(1947)に国の重要文化財に指定され、昭和29年(1954)には城跡が高松市の所有となり、昭和30年(1955)には国の史跡に指定されるとともに、玉藻公園として一般に公開され、市民に親しまれています。

 

平成24年(2012)には披雲閣の3棟が国の重要文化財に、翌25年(2013)には披雲閣庭園が国の名勝に指定されています。これにより、高松城跡は、史跡・名勝・重要文化財の3重指定となりました。

 

かつての高松城と現在の史跡高松城跡

 

 

(出典:2011.11.30 高松市文化財課発行「史跡 高松城跡(玉藻公園)」より)

史跡 高松城跡

かつて「讃州讃岐は高松様の城が見えます波の上」とうたわれたように、日本三代水城の1つに数えられています。市街地にありながらも堀や石垣が残り、往時の姿を良く残していることから国の史跡に指定されています。

史跡 高松城跡平面図

 

 

【本丸】本丸 鞘橋

城内の中心に位置し、かつては東側に天守が存在しました。かつては本丸内に御殿も所在しましたが、明治17年(1884年)に老朽化を理由に解体されました。天守台石垣は、その傷みが目立つことから、平成18年~25年(1996~2013)にかけて解体修理が行われました。

 

 

 

本丸 天守

 

 

 

【二の丸】

かつては多くの櫓がありました。本丸同様、生駒時代や松平時代の初期には御殿も所在していました。現在は広場となり、植木市などさまざまなイベントが催されます。

 

 

【三の丸】

三の丸には藩主御殿が所在しました。またその正門として桜田門がありました。現在は大正時代に建てられた重要文化財披雲閣と、同時期に作庭した名勝の披雲閣庭園が所在します。

三の丸

 

 

 

【桜の馬場】

生駒家時代には、厩や藩士の屋敷などがあり、また藩政を行う場所としての対面所がありました。その後、松平家の改修により、これらの施設はなくなりました。現在は桜が植樹され、花見などでにぎわいます。

桜の馬場

 

 

【北の丸】

北の丸北の丸の西端には延宝4年(1676)に建築された月見櫓、渡櫓、水手御門が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。

 

 

 

 

【東の丸】

県民ホールや県立ミュージアムが所在する場所が、東の丸に該当します。かつては米蔵などが立ち並んでいました。

 

 

【堀】

高松城は3方を堀に囲まれていましたが、現在は内堀と中堀の一部のみが史跡として保存されています。水門を通じて海水を引き込んでいるので、鯛をはじめ、海洋生物が数多く生息しています。

 

(出典:2011.11.30 高松市文化財課発行「史跡 高松城跡(玉藻公園)」より)

重要文化財 高松城と披雲閣

高松城は、昭和22年(1947)に、国宝(昭和25年に文化財保護法施行により重要文化財となる)に指定されています。

 

高松城と披雲閣

 

 

また、大正時代に建築された披雲閣の本館、本館付倉庫、倉庫の3棟が、近代和風建築の代表例として平成24年(2012)に指定されています。この際、裏門、袖塀、井戸屋形、あずまやについても、附(重要文化財に付属するもの)として指定されています。

(出典:2011.11.30 高松市文化財課発行「史跡 高松城跡(玉藻公園)」より)