復元へ向けて…

日経新聞

日本経済新聞(2015.2.27)

かつては四国最大規模を誇り、

南蛮造りの特徴的で流麗な白壁の高松城天守閣は

想像するより他はありません。

 

高松のまちは城を中心に築かれてきました。

しかし今となっては、

城下町のシンボル「天守閣」が現存していません。

 

より魅力ある町へ。

 

城下町高松のシンボルとして、市民の誇りとして、天守閣の復元が望まれます。

 

 

 

工程・アルバム 城下町

 

 

 

<玉藻公園将来図像>

手前が中央通り、内濠が復元され、天守がお濠に浮かび上がります。

 

玉藻公園将来図

 

 

 

 

天守台の復元

高松城天守台は、築城から約420年の経過により、劣化が進行し、崩壊も危惧されていました。

 

平成17年から始まった石垣の解体・積み直し工事が平成24年3月に終了し、築城時の美しいシルエットと強度を取り戻しました。

 

また、調査などから掘立柱と、礎石を併用した珍しい構造により四国最大の天守閣を支えていたことも判明しました。

 

解体調査によりさまざまな資料も増え、天守閣復元の大きな弾みになることでしょう。

 

天守台の復元

 

 

 

 

天守閣復元への現状

復元への段階として、調査→計画→許可→予算→着工→完成という大まかな流れがあります。

 

今はまだ1段階目の「調査」の途中で、具体的に事業全般が見えてくる「許可」段階に達するためには、まだ多くの障壁が存在しています。

 

最大のハードルは資料不足の状況で、国(文化庁)の許可を取り付けるというもの。国の許可がすぐ取れるだけの資料となりますと、全方向が見える外観写真や、根拠のある絵画等の発見。何より構造を示す図面の存在。さらに仕様部材の特定できる資料などの発見が望まれます。

 

 

天守閣の古写真(イギリス・ケンブリッジ大)

 

 

 

 

 

桜御門の復元

昭和20年の高松大空襲で消失した「桜御門」は、平成22年に高松市による基礎部分の発掘調査が終了し、その構造が明らかとなりました。

 

 

桜御門の復元

 

桜御門の復元は、平成8年の高松市の「保存整備計画」に位置づけられながらも、諸般の事情が重なり、三度にわたり契約が不調。やっと令和元年12月の市議会で復元工事契約が成立しました。
披雲閣の正面にあたる桜御門の完成により、大手の旭門から入り櫓門をくぐり御殿へ進むという往時の景観が再現することになります。
『小神野筆帖』という古文書には、藩主在国時に、年初めや五節句、使者を迎えるなど特別な日には、白麻地に桜の紋が入った幔幕を張っていたなどという記述もあり、これを再現することは、史蹟高松城跡の史実に基づく「保存・活用」の第一歩となるに違いありません。

 

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復元課題の解決

市によると、桜御門の復元には(1)文化庁復元検討委員会の審査、(2)建築基準法の適用除外の審査、などの課題がありました。(1)については、現存している礎石、石垣の遺構や古写真、絵図、焼失前に桜御門に入った経験を持つ古老からの聞き取りなど一つひとつ資料を整え、平成24年度から3年かかり許可に至った、とのことでした。

桜御門復元整備の状況