かつては四国最大規模を誇り、
南蛮造りの特徴的で流麗な白壁の高松城天守閣は
想像するより他はありません。
高松のまちは城を中心に築かれてきました。
しかし今となっては、
城下町のシンボル「天守閣」が現存していません。
より魅力ある町へ。
城下町高松のシンボルとして、市民の誇りとして、天守閣の復元が望まれます。
<玉藻公園将来図像>
手前が中央通り、内濠が復元され、天守がお濠に浮かび上がります。
昭和20年の高松大空襲で消失した「桜御門」は、平成22年に高松市による基礎部分の発掘調査が終了し、その構造が明らかとなりました。
桜御門の復元は、平成8年の高松市の「保存整備計画」に位置づけられながらも、諸般の事情が重なり、三度にわたり契約が不調。やっと令和元年12月の市議会で復元工事契約が成立しました。
披雲閣の正面にあたる桜御門の完成により、大手の旭門から入り櫓門をくぐり御殿へ進むという往時の景観が再現することになります。
『小神野筆帖』という古文書には、藩主在国時に、年初めや五節句、使者を迎えるなど特別な日には、白麻地に桜の紋が入った幔幕を張っていたなどという記述もあり、これを再現することは、史蹟高松城跡の史実に基づく「保存・活用」の第一歩となるに違いありません。
市によると、桜御門の復元には(1)文化庁復元検討委員会の審査、(2)建築基準法の適用除外の審査、などの課題がありました。(1)については、現存している礎石、石垣の遺構や古写真、絵図、焼失前に桜御門に入った経験を持つ古老からの聞き取りなど一つひとつ資料を整え、平成24年度から3年かかり許可に至った、とのことでした。