かつて「讃州讃岐は高松様の城が見えます波の上」とうたわれたように、日本三代水城の1つに数えられています。市街地にありながらも堀や石垣が残り、往時の姿を良く残していることから国の史跡に指定されています。
城内の中心に位置し、かつては東側に天守が存在しました。かつては本丸内に御殿も所在しましたが、明治17年(1884年)に老朽化を理由に解体されました。天守台石垣は、その傷みが目立つことから、平成18年~25年(1996~2013)にかけて解体修理が行われました。
【二の丸】
かつては多くの櫓がありました。本丸同様、生駒時代や松平時代の初期には御殿も所在していました。現在は広場となり、植木市などさまざまなイベントが催されます。
【三の丸】
三の丸には藩主御殿が所在しました。またその正門として桜田門がありました。現在は大正時代に建てられた重要文化財披雲閣と、同時期に作庭した名勝の披雲閣庭園が所在します。
【桜の馬場】
生駒家時代には、厩や藩士の屋敷などがあり、また藩政を行う場所としての対面所がありました。その後、松平家の改修により、これらの施設はなくなりました。現在は桜が植樹され、花見などでにぎわいます。
【北の丸】
北の丸の西端には延宝4年(1676)に建築された月見櫓、渡櫓、水手御門が現存し、いずれも重要文化財に指定されています。
【東の丸】
県民ホールや県立ミュージアムが所在する場所が、東の丸に該当します。かつては米蔵などが立ち並んでいました。
【堀】
高松城は3方を堀に囲まれていましたが、現在は内堀と中堀の一部のみが史跡として保存されています。水門を通じて海水を引き込んでいるので、鯛をはじめ、海洋生物が数多く生息しています。
(出典:2011.11.30 高松市文化財課発行「史跡 高松城跡(玉藻公園)」より)